逃げるは恥じゃないが癖になる

2021年12月5日

さて今回は「何をやっても続かない人」「逃げ癖がついている人」について語っていきたいと思います。

以前書いた〈煩悩〉についての続編とも言える内容です。

改めて「煩悩とは?」を解説するために。以前の記事から抜粋します。


煩悩とは、よく「欲」みたいなニュアンスの捉え方をされると思いますが、ちょっと違います。

煩悩とは即ち、この世のアレやコレに色を着けて見るという事です。

はて?どういう事かと言えば…

世の中のあらゆる事に価値を見出す事が煩悩です。

何か食べて美味しいと感じる事も、花を見たり音楽を聞いたりして、美しいと思う事も、スポーツを楽しむ事も、大好きなあの子の笑顔を見て愛しいと思う事も、全て煩悩となります。

美しいと思うものも、それは一時いっときの事に過ぎず、花も枯れるし美女も老いる…

全ては移ろい行く「諸行無常しょぎょうむじょう」であり、一時的な事象に心奪われる事(煩悩)は、主観によって描き出している幻想でしかなく「この世をあるがままに観る」妨げになる、とされています。

つまりただ生きている、ということ以外は全て煩悩となります。


ということになります。

そして、別の記事では自分の精神が追い詰められるくらいなら「逃げるが勝ち!」どんどん逃げろ!

逃げられた側は割とどうにでもなる。

とも書きました。

本当に精神を病む、身を削る思いをする程だったら逃げるのが正しいのですが、それほどでも無いのに、やたらと逃げてばかりで「何をしても続かない」…バックれ癖がついている人もいるのでは無いでしょうか。

なぜそうなるのか…私の屁理屈を駆使して解明していきましょう。

何事も〈煩悩〉が原動力

生きている中で、能動的に自ら何かを求めて行動することは全て〈煩悩〉。

受動的に体感したした事に対し「良かった、悪かった」等、あらゆる価値を付加するのも〈煩悩〉。

つまり、社会生活とは〈煩悩〉によって成り立っています。

引き際は潔く

この煩悩を断つのではなく、執着しない、囚われないことが肝要であると以前の記事で述べました。

何にでも積極的に取り組みつつも、手放す時が来たら未練なく手放すまでです。

これ以上はもうどうにもならない…と、何となく分かっていながら「まだもう少し、あと少しで…」とか「今止めたら皆の迷惑に」等、未練や責任感で、いつ迄もしがみついていたら苦しむだけです。

仕事も趣味も、あらゆる煩悩は、時が来たら潔く手放しましょう。

サインは〈苦〉

潔く手放すと言っても、そのタイミングが分からないという方が多いのでは無いでしょうか。

さて、これも私が〈煩悩〉と同じくらいよく持ち出す概念である〈苦〉を用いて説明します。

仏教の開祖ブッダ(お釈迦様)は「この世は苦なるものである」としました。

〈苦〉なるもの???

どういう事かといえば、この世は根源的に〈苦〉であり、人は苦しむように出来ているという事です。

そしてこの〈苦〉と〈煩悩〉は密接な関係にあり、それぞれがちょうど表と裏のような間柄になります。

要は〈煩悩〉を追い求め、執着してしまうことで「苦しむ」事になるという事です。

何となく言いたいことがわかるでしょうか?

大好きなもの(煩悩)を失うと、いつ迄も忘れられず(執着)、とても辛い(苦)

という感じです。

ですから〈煩悩〉を手放すタイミングは〈苦〉を感じた瞬間がサインとなります。

「夢中になってたけど、この頃なんか前みたいにヤル気が起きない」とか「この頃、毎朝起きてから憂鬱だ」のような場合は〈煩悩〉が〈苦〉になっているサインです。

〈煩悩〉と〈苦〉

はい、ここまでが〈煩悩〉についての準備運動でした。

では本題である、逃げ癖や、何やっても続かないって問題を見ていきましょう。

逃げても良いけど…

基本的に〈苦〉を感じるなら〈煩悩〉を手放し逃げるべきです。

この世で一番大事なものは己の命です。

ではありますが、逃げ癖がついていると言う人は、あまりにも〈苦〉に対するレベルが低いとも言えます。

ちょっとした些細な事でも〈苦〉を感じてしまう、些細な〈苦〉に耐えられず、あっちで逃げこっちで逃げを繰り返す。

いや、逃げる事自体は決して悪く無いんですけどね…

「逃げても現場はどうとでもなる」とは言いましたが、一応それなりに迷惑はかかるので、あまりにも頻繁に逃げて方々ほうぼうに迷惑を掛けていては、公害となります。

〈苦〉に対するレベルが低すぎる方は、まずは〈苦〉に対するレベルを上げることをお勧めします。

とはいえ、我慢しろ!〈苦〉に耐性をつけろ!と言う事ではありません。

とっておきの秘策があります。

煩悩は大きく

〈苦〉に対するレベルを上げると言っても、直接〈苦〉に対して何かしらのアプローチをするわけじゃありません。

〈苦〉と表裏一体である存在に働きかけます。

そうです〈煩悩〉です。

些細な事でも〈苦〉を感じてしまうのは、言い方を変えれば〈煩悩〉が小さすぎるんですね。

「ちょっとあのお店の制服が着てみたい」くらいの〈煩悩〉で働き始めたとして…働くとは当然ですが制服を着る事だけじゃありません、それなのに「ちょっと制服を着てみたい」のような小さな〈煩悩〉では、些細な作業を指示されただけでも「ヤーモー!!」となり、バックれてしまう事になります。

〈煩悩〉の大きさと〈苦〉に対するレベルは比例します。

「俺は将来プロ野球選手になってエースで四番になってやる!」と言う〈煩悩〉を持った少年が、一度草野球で負けたからといって「もう野球なんてやめた!」とはならないでしょう。

〈煩悩〉は大きい方が、些細な事を〈苦〉に感じません。

「少年よ大志を抱け」はある意味、正解という事ですね。

ひとまず〈煩悩〉を一回り大きくしてみる

〈苦〉に対するレベルが低い人は、逃げ癖がつき、何をやっても長続きしない…それは〈煩悩〉が小さいからである。

という事がわかりました。

であれば、手っ取り早いのは、より大きな〈煩悩〉を持てば良いわけです。

と言ってもニートがいきなり「大富豪になるためにハンバーガー屋で働きます!」なんて滅茶苦茶な論理は普通は通用しませんよね。

ですから今の〈煩悩〉より一回り大ききな〈煩悩〉を持ってみましょう。

「ちょっとあのお店の制服が着てみたい」ならば「あのお店の制服を着て仕事をしてみたい」とすれば、瑣末な作業ごときで根を上げないでしょう。

レギュラー入りが目標の〈煩悩〉であったのなら、「1試合必ず1得点取る」と〈煩悩〉をひと回り大きくすると、よりキツイ練習でも苦では無いでしょう。

〈煩悩〉をひと回り大きくすることで、〈苦〉に対するレベルも上がります。

本当の〈煩悩〉を見極めろ

何をやっても続かず、結果的に逃げ癖がついている人というのは自分の〈煩悩〉を勘違いしている場合もあります。

「ちょっと興味あって」や「趣味の延長」程度の小さな〈煩悩〉だと、やはりすぐに〈苦〉がやってきます。

「観客」と「演者」の違い

舞台やショーステージ、演劇等のケースで言えば「観ることが好き」と「演じることが好き」という〈煩悩〉を履き違えて、劇団ないしプロダクションの門を叩きにやってくる者もいます。

根本的な〈煩悩〉は「観ることが好き」であるのに、「自分もちょっとやってみたい」と『演じる側』に入ってくる。

しかし、「煩悩=観ることが好き」では、やはり厳しい稽古についてこれずトンズラというケースもままあります。

「理想と現実のギャップ」みたいな感じでしょうが、そのギャップを生み出しているのは他ならぬ当の本人なのです。

ただ、ギャップに戸惑いながらも「その場にいる事自体が好き」という〈煩悩〉に切り替えれば、うまく上達できずとも〈苦〉を感じる事は少ないでしょう。

時と場合によって〈煩悩〉をコントロールすることも必要です。

自分の〈煩悩〉は何であるか、しっかりと見極め、場合によってはコントロールしなければなりません。

どうしても〈煩悩〉を大きく出来ないならば、外に出なくとも良い

今ここでは簡単に〈煩悩〉を大きくしなさいと言っていますが、〈煩悩〉を持つという事は根本的に〈やる気スイッチ〉を押さなければなりません。

ここでハードルが高く感じる人もいるのでは無いでしょうか。

引きこもりが社会問題となっている昨今、無気力という澱みが社会を蝕んでいます。

これに対して私は、

ならば無理に外に出てこなくても良い

と思います。

無理に何かしようとしても、やはり〈苦〉でしかありませんし…

あっち行ってこっち行ってと、色々な所に顔出してはバックれて…そんなことばかりされては、社会にとっても悪影響を及ぼします。

〈煩悩〉を持てない、大きく出来ないならば、〈煩悩〉を持てるまでジッとしている事も大事なのでは無いでしょうか。

ジッとしながら、好きなことばかりを考えていると良いですよ。(決して皮肉じゃなくて)

好きなことが即ち〈煩悩〉であり、再生の切っ掛けを与えてくれるカンフル剤です。

ですが決して好きな事に執着しないように。

まとめ

さて、というわけで今回は、逃げ癖と〈煩悩〉について見てきました。

まとめるなら

何やっても続かない逃げ癖があるのは〈煩悩〉が小さいからであって、もっと自分に合った大きな〈煩悩〉を持とう!

ですね。

と、ここでとても大事なことを忘れないように…

〈煩悩〉を大きくすれば、些細なことに〈苦〉を感じなくなるが、それと同時に〈苦〉の反動もとてつもなく大きくなる。ということです。

バイトをバックれる事と、スター選手が事故で選手生命を絶たれるような〈苦〉は比べ物にならないと簡単に想像できるでしょう。

いかなる場合でも〈煩悩〉に執着しないことが一番大切です。

という感じで今回は以上になります。

それではまた!良い人生を!