無問題社会
京王線、電車内での刺傷事件は記憶に新しい方が多いのではないでしょうか。
あのような身勝手で残忍かつ愚かな犯行は、もちろん100%犯人が悪いのですが、何故犯人はあのような行動に出たのか、このような事件を起こす犯人を作り上げてしまうのは果たして何であるか…考える必要もあるのではないでしょうか。
「一人の頭のおかしなヤツがやらかした事」で済む話でもないと思うのです。
度々このような身勝手な無差別事件を起こす人間が現れますが、彼等が犯行に至る経緯として共通するのは「社会からの孤立」ではないでしょうか。
孤立と言っても、本当に孤立しているわけではなく、社会の中で勝手に疎外感を感じていたに過ぎないのでしょうが…
このような犯罪を生み出してしまうのは、社会の歪みでもあると言えます。
社会で起こる事は我々一人ひとりにとって関係性の濃淡の違いはありますが、決して無関係ではありません。
とはいえ、我々一人ひとりが社会の責任を負っていると言いたいのではなく、我々は一人ひとりが社会に対して何かしらの要因を担っていると言うことです。
「要因を担うとは」どういう事か、社会について例のごとく私の屁理屈で考察していきます。
社会を作っているのは誰か
言わずもがな、社会とは「人の集まり」で形成されています。
行政のトップダウンで社会が作られるわけではありません。
政治家が私達にとって都合のいい社会を作ってくれるのではありません。
政治はあくまで社会の枠組みを作るだけで、社会の中身は人が紡ぎ出して行く物です。
私達一人ひとりが、それぞれ関わる全ての人に対する行いが社会を形成しているのです。
社会の問題は人の歪み
現在我々の生きる社会は様々な問題を抱えています。
「社会=人の集まり」です。
つまり社会の問題は「人間関係、対人関係の歪みの拡大」とも言えるのですが、それらをざっとピックアップしてみると…
差別、いじめ、貧困、凶悪犯罪、自殺etc…
いちいち取り上げてはキリが無いほどありますね。
しかし、元を辿れば「人の歪み」であれば、人の歪みを矯正すれば、社会問題も正すことができると言うことです。
問題のない社会
人の歪みを矯正し、あらゆる問題を全て解決できる社会とは、一体どのような社会であるか…
それは偏に
「肉体的にも精神的にも人が人を傷つけない社会」
と言えるのでは無いでしょうか。
このような社会であれば、現在社会が抱える問題、そのほとんどが解決するはずです。
「理想論だけの綺麗事なら誰でも言えるわ!」
と思われるかもしれませんが、そうです綺麗事です。
しかし綺麗事とは「限りなく正解に近い」ものです。
とは言いつつも、やはり現状、様々なしがらみを抱える人間社会は、中々こう綺麗事だけじゃ治まりきらないでしょう。
ですが、そんな中でも社会の為に我々のできる事を考えていきましょう。
人は誰しも何かしらの「要因」を担っている
さて、冒頭でも書きましたが、「人は誰しも何かしらの要因を担っている」ということについて掘り下げます。
人というのは常に他人の影響を受けて生活しています。
親、兄弟、近所の人、学校の教師や友達、会社の同僚、上司、部下、すれ違う数えきれない人達…これら全ての他人(自分以外の全ての人間)の影響が個人を模っています。
家庭環境、社会生活上での人間関係は言うまでもなく、すれ違う赤の他人にも「好みの容姿だ」とか、「気に入らない」だとか、何かしらの想念を抱きます。
「朝、親と言い合いになって一日気分が悪い」
「上司に褒められて嬉しい」
「すれ違った人がめちゃくちゃ好みの容姿だった」
等々…
自分に当て込んでみても、大体こんな感じで生活していると実感できますよね。
全て自分の内から能動的に出てくる物ではなく、他人が切っ掛けで沸き起こる想念です。
そして自分もまた、他人の想念を沸き起こすワンピースです。
このように、人というのは相互に影響しあい今ここに共生しています。
誰かは誰かのワンピースなのです。
これは意図的であろうがなかろうが関係なく
人は潜在的に誰かの想念を沸き起こす要因を担っているのです。
一方的に好意を寄せる歪んだ愛情なども、好意を寄せられる方が何かした訳ではありませんが「相手の好みに当てはまる容姿ないし性格」という要因を担っているからです。
良し悪しの問題ではなく「人は誰しも、誰かに対して何かしらの要因を担っている」のです。
歪んでしまった人の要因とは
以上のように、人は常に他人の影響下にいます。
外に出ず、人に会うことが無くとも、テレビやネット、娯楽である映画やアニメ、ゲーム等も他人が人に与える影響、その要因となります。
さて、では身勝手な振る舞いで事件を起こしてしまう人間とはどのような、要因の影響を受け歪んでしまったのか…
家庭環境なのか、外での社会生活なのか、ネットなのか、アニメ等の娯楽なのか…
1人の人間も様々な要因と条件が複雑に絡み合い成り立っているので…「凶悪犯を生み出す要因はコレだ!」と明確に言えるものはありません。
ひとつの要因でも意図的であるかないかも違いますし、それを受け取る側も意識的か無意識か、更にはそこに善し悪しの判断も加わります。
ひとつの要因が人に与える影響は千差万別に変化します。
全く悪意の無い発言でも、人によっては傷付いてしまったりします。
ですからこれについては「分からない」が正解です。
そんなものが分かるのなら、逆に良い人間ばかりだって作り出せるはずです。
「容疑者はアニメやゲームを好んで…」とかよく槍玉に挙げられますが、まるでアニメやゲームを好むと犯罪を犯すような報道は如何なものかと思います。
全て無数にある要因のひとつでしかありません。
「容疑者は白米を好んで食べており」というのと変わりません。
人がどのような要因の影響を受け、どのように変化するか「分からない」のです。
ハッキリしている事
様々な要因が人にどのような影響を及ぼすか分からないとしましたが、ハッキリと言えることがあります。
それは
明確な悪意ある言動は人に悪影響を及ぼす
という事です。
そうでしょう?
人が悪意を持って人に接すれば、それだけ社会は悪意に染まって行きます。
社会の為にできる事
ひとつの要因が人に、ひいては社会にどのような影響を及ぼすか分からずとも、人が社会の為にできる事はあります。
意図的に人を傷付ける言動を控える
です。
目の前の実生活においても、ネット上でも。
世に出る悪意がひとつ消えれば、それだけ社会も浄化されていきます。
これについては単純明快な事実ではないでしょうか。
SNS等の誹謗中傷コメントや、マンウント行為は社会にとって害悪でしかありません。
まとめ
さて、ここまで見てきた事をまとめると
- 社会を作るのは社会に生きる人達
- 理想の社会とは「肉体的にも精神的にも人が人を傷つけない社会」
- 人は潜在的に何かしらの要因を担っている
- 人を歪ませる直接的な要因とは「分からない」
- ハッキリしている事は、明確な悪意は人に悪影響を及ぼす
- 意図的に人を傷つける言動は控える
という感じですね。
意図的であろうがなかろうが、自分達の言動が何かしら人と社会に影響を及ぼすと理解する。
自分達がどのような社会に生きていたいか、家族や愛する人たちにとってどういう社会であって欲しいかを考え、その為に自分は何をすべきで、何をすべきでないか、己の言動をきちんと意識しましょう。
理屈は分かっても、人間とは感情で行動する生き物なので、感情のコントロールも必要です。
一人の行動で社会の全てを変えることは出来ませんが、社会をもう少し小さなコミュニティに置き換えて考えてみてください。
自分の家庭であり、学校や部活動、職場において、自ら発する明確な悪意や害意を無くし、怒りや妬み等の負の想念を抑えてみる。
そのように意識して行動を続ければ…
何かが少しずつ変わってくるのではないでしょうか。
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