今やるべき事をしなさい〜毒矢のたとえ〜
今回はブッダ(お釈迦様)のエピソードをひとつご紹介して、現代社会にも当て込んだ私の屁理屈も交えていきたいと思います。
タイトルにある「毒矢のたとえ」ですが、これはブッダ(お釈迦様)が弟子に語って聞かせたと言われるエピソードで、まずはそのご紹介から始めたいと思います。
今ここでは便宜上「ブッダ」と呼称していますが、ブッダとは本来「覚りを得た者」の意なので、固有名詞ではありません。
ブッダ、お釈迦様、釈迦牟尼世尊、釈尊etc…色々な呼び名がありますが、ブッダの本名は「ゴータマ・シッダッタ」です。
お釈迦様の「釈迦」とはゴータマが出生した豪族「サーキャ族」の音写になります。
釈迦牟尼世尊とは「サーキャ族の最も尊ばれる聖者」というような意味になり、釈尊はその略称です。
毒矢の喩え
インド古来の思想「輪廻転生」
ブッダが生きた時代(BC500)以前から古代インドには、人は死んでもまた生まれ変わるという概念である「輪廻転生」の思想が根付いていました。
輪廻の輪の中で生きることは苦しみであり、この輪廻から解き放たれる事を「解脱」といい、解脱を経て、魂の永遠の安楽「涅槃」に至ることが究極の理想とされてきました。
輪廻は前世の業(カルマ)の報いによって巡るものだとされ、今の自分(現世)の身分は前世の業(カルマ)の報いであり、来世は現世の行いで決まる…
「人は生まれながらにして階級が決まっている」というカースト制度もこの「輪廻転生」思想に基づいたものです。
しかしながら、ブッダはそのカースト制度を否定し「人間平等」を掲げ、「人は前世での行いによってではなく、現世の行いによって現世で解脱できる」と説きました。
ブッダの教えと無記
ブッダは弟子たちが「解脱」するために、覚りを得て自身と同じ「仏=ブッダ」となることを目的とした教えを説き、「今」行う修行を奨励しました。
その為に弟子たちから「死後の世界」「あの世はあるのか」「宇宙の果ての有無」などのような輪廻思想に基づく質問をされても肯定も否定もせずに、沈黙を守りました(これを無記といいます)
根本的な生の苦しみも理解できていないのに、それ以降の事を考えるのは「今」なすべきことではないとしたのです。
矢を射たのは誰か?
死後の世界、輪廻について、頑なに答えないブッダに剛を煮やした弟子の一人、マールンヤクがブッダに直訴に出ます。
「一体どうなんですが?!死後の世界はあるのですか?!我々はこのまま修行を続けていて輪廻の輪から解脱できるのですか?!今日こそ答えて貰えないのなら私はあなたの元を去ります!」と…何ともこましゃくれた弟子ではあります。
そこでブッダはその問いには直接答えず、こう話し始めました。
「ある男がどこからか飛んできた毒矢に射られた。
ところが矢の刺さった男は、矢を射ったのがどこの誰で、年齢はいくつくらいか、毒の種類は何か、矢の材質は何か、全て明らかになるまでこれを抜くわけにはいかない!と言って、然るべき処置もせず、矢を抜くことを拒んだ為うだうだしている内に全身に毒が回って死んでしまった。
死後を知ろうとしても、現世で修めるべきことを疎かにしては、何も得ることなく死ぬだけだ。
お前たちが「今」しなければならないのは現世で解脱を得ることだ」と。
これが「毒矢のたとえ」の逸話です。
毒矢に射られたら、あーだこーだ言わずにまずは矢を抜いて然るべき処置をしなさいよってことですね。
我々が「今」すべきことは
さて、この「毒矢のたとえ」の逸話が語る教訓は現代の我々にも通ずるところがあるのではないでしょうか?
現代はとかく情報過多社会です。
溢れる情報の洪水に晒され、一度スマホを手に取るだけで分かるように情報は四方八方に錯綜しています。
それら一つ一つの情報の端くれにいちいち反応し翻弄されてても、仕方がないのです。
ネットで得た情報に泳がされ、ネットに書き込む。
誰それの結婚についていちいち反対意見をあげたり結婚反対デモなど全くもってくだらない事を企てる、著名人か否か関係なく至る所で無差別に誹謗中傷を書き込む、無いものねだりの政治批判…
それが「今」自分のすべきことでしょうか?
もっと他に自分の為にすべきことがあるのでは無いでしょうか。
それらの人間が「今」直ちにすべき事をひとつ、私は知っています。
それは「恥を知る」ことです。
まとめ
という事で、今回は「毒矢のたとえ」と、それを現代版にちょっとアレンジした私の屁理屈でした。
行く先を考えるのも大事ですし、世間の情勢が何かと気になるのも理解できますが、それはそれとして「今」自分がすべきことをしっかりと理解する、理解しようとする事も大切なのでは無いでしょうか。
自分の「今」すべきことを疎かにして、目先の他人事にいちいち振り回され、誰かを貶める…で、そのまま死んでいく…
なんとも虚しい人生だと思いませんか。
時間は限られています、できる限り自分自身の「今」の為に使いたいものです。
では今回は以上!
それではまた!良い人生を!
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