ACT04「観察する自己:オブザービングセルフ」

2022年8月2日

自分は自分が思っているような存在ではない

人間は絶えず思考に依存する生き物なので「思考=自分」と考えてしまいがちですが…

自己イメージや自尊心、自分への価値判断…それらはただの思考、イメージ、記憶でしかなく「=自分そのもの」ではありません。

自分とは自分が思っているような存在ではないのです。

であれば、自分とは一体何なのだ…

人には思考以上のものがあります。

自分が考えていること、イメージしていること、思い出していることが何であれ、自分の中には、それら思考とは切り離された部分があります。

活動中の心を観察し、自分が何をしているのか気づくことのできる部分。

そう、「観察する自己」です。

「観察する自己」はとても重要で、それなしでは自己認識も心理的柔軟性も持ち得ません。

しかし、そうは言ってもどうやって「観察する自己」を認識するのか?

一体そんなものはどこに存在するのか?

そんな疑問にうってつけのエクササイズをご紹介しましょう。

「何かに意識を向けてる自己」に意識を向けるエクササイズ

このエクササイズは短い指示からなります。ただ読むのではなく必ず実行して見てください。(秒数は目安ですので数えなくても結構です*数える事に意識を取られないように)

項目を必ず2セット行なってください。

1セット目は書いてある指示通り、自分の1点に意識を向けます。

2セット目は1セット目と同じ事を繰り返しますが、今度は「意識している自分」を意識します。

例:
1セット「聞こえる音に意識を向ける」
2セット「『音に意識を向けている自分』に意識を向ける」


1、10秒間、目を閉じ聞こえてくる『音』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


2、今度はあたりを見回して、『見えるもの』に10秒間意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


3、自分の『体の感覚』に10秒間意識を向ける。足はどこにあるか、背骨はどのくらい曲がっているかなど…。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


4、10秒間目を閉じ、自分の『思考』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


5、空気を吸って『匂い』を確かめる(匂いがなければ鼻腔の内部の感覚に注意を向ける)

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


6、口の中でどんな『味』がするか注意する(味がしなければ口の中の感覚に注意する)

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


7、目を閉じて再び『思考』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


8、指を細かく動かして、その『動き』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


9、全身をスキャンし、『体の一部に感情や感覚』を見つけたら、そこに意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


10、ゆっくりした深い呼吸を3回し、その『呼吸』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。


11、最後にもう一度、『思考』に意識を向ける。

*再び同じことを繰り返しますが、今度は意識を向けている自分に意識を向けます。

このエクササイズによって、自分の見ているもの、聞いているもの、感触、匂い、感情、思考、行動など…普段は意識すらしていなかった、『自分を見ている自分』、自分のすべてに注意を払っている自分の一部を実感できるはずです。

この『自分の一部』こそ「観察する自己」です。

自分は自分が思っている以上の存在なのです。

「観察する自己」はアクセプタンスの源

「観察する自己」は思考や感情ではなく、自分が思考や感情を観察する視点であり「純粋な気づき」と呼ぶべきものです。

自分が何を考え、感じ、知覚し、行動していることが何であれ「観察する自己」は常に存在し、自分の全てに注意を払っています。

自分の考えや感じているものが何であれ、それを自覚できているのは「観察する自己」が自分の思考や感情に"気づいている”からであり、「観察する自己」なしに自己認識はあり得ません。

自分を取り巻く環境や、自分自身の心や肉体は常に変化し続けますが(諸行無常)…観察する視点である「観察する自己」は変化する事なく全てを見て、常に気づきを促し、学びの機会を与えてくれます。

・「観察する自己」は人の誕生から死まで存在し続け決して変わることはない。
・「観察する自己」は全てを見ているが、一切の価値判断をしない。
・「観察する自己」は、いかなる方法でも傷付けることはできない。
・「観察する自己」は常に存在する。それを忘れいるときも、それを知らない時も。
・「観察する自己」は真のアクセプタンスの源である。
・「観察する自己」は計測も定量化も出来ない、直接体験する以外に、その存在を確かめる方法はない。
・「観察する自己」は強化できない、「観察する自己」は完璧なのだから。

少々、難しい概念ですが…やはり何と言っても「直接体験」する事が理解するには一番の近道でしょう。

「観察する自己」は空

「観察する自己」は「そら」に喩えられます。

思考と感情は変化し続ける「天候」のようなものです。

どんなに天候が変わろうと、時には凶暴な嵐となって雨風を荒れ狂わせようと、空は常にそれを包み込み、それらに傷付けられる事もない。

地上を破壊する台風や津波などはお構いなしに、空は常にそこにあり、純粋で透き通っています。

結局のところ「この私(自分自身)」とは何だ?

と、ここまで色々見てきましたが…

ここで一つ疑問が生じるでしょう…大元のテーマが「正しく自己認識しましょう」ということだったはずですが…

で…結局のところ、何を持って正しい自己認識となるの?心(思考)も自分ではないとしたら…自分の本性はどれ?どこにあるの?

でしょう…

それでは、お答え致しましょう。

自分=複合体(「思考する自己」+「肉体」+「観察する自己」)

と言えます。

縁起えんぎ」の論理から智慧を拝借して説明すると…

この世に独立して成り立つものは存在しませんそれは自分(自己or自我)も然りです。

「この私=自分」を成り立たせているものは、「思考する自己」と「肉体」、そして「観察する自己」の複合体であると言えます。

それらは全て「この私=自分」の異なる側面と言えます。

そして、その中で「観察する自己」のみ不変の存在です。生まれてから死ぬまで常に同じ形で存在し続けます。


「観察する自己」は常に我々とともに存在しています。ですが我々が日常において、それを認識するのはせいぜいが垣間見る程度です。

なぜならそれは、常に激しく流れては消えていく思考に覆い隠されているからです。

しかし、先程も申した通り、これは空のようなものなのです。

時には雲に完全に覆い隠される。しかし見えなくとも空がそこにある事を私たちは知っている。

そして、雲より上の高みに行けばいつでもそれを見る事ができる。

同じように、我々が思考より遥か高み、自分の判断や信念を観察できる位置に立てば、いつでも「観察する自己」にアクセスできます。

「観察する自己」の視点に立てば、「思考する自己」が言葉やイメージで作り上げた物語をありのままに見る事ができます。

「思考する自己」は“この物語こそ自分である”と主張しますが、数歩下がって観察すれば「物語≠自分」であると明瞭に理解できるはずです。

終わりに…次回予告

さてと、長々と見てきましたが「観察する自己:オブザービングセルフ」はこの辺で終わりにしたいと思います。

「観察する自己」は中々言葉にして説明するには難しい概念ですので、言葉をこねくり回す言葉遊びのような感じになってしまいますが…これはもうやっぱり手っ取り早く直接体感して頂きましょう。

それほど難しい事じゃありません。

まずは自分が知覚しているものを選ぶ。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、思考、感情、体の感覚…何でもいいのでどれか一つに注意を向ける。そしてそれを観察しながら、そうしている自分に気づいてみる。

これだけです。是非「観察する自己」を体感してみてください。


そして、今回の内容を簡単にまとめておくなら…

これからの人生も「思考する自己」の物語に何度でも囚われるでしょう。それは生きている限り続きます。それらの物語に迷い、苦しみそうになったら、一度「観察する自己」の視点からあるがままに見て、その物語がただの『よく出来たフィクション』であると認識を改め、自己批判する事なく、「自分であることを良しセルフ・アクセプタンス)」して、「自分にとって本当に価値あるもの」の為に行動を起こしましょう!

この一連のプロセスが「正しい自己認識」という事です。

ここまでシリーズを通して見てきたのは「心理的柔軟性」の一つの側面です。

心理的柔軟性は二つの部分から成り…

  1. オープンな心、気づき、集中力を持って状況に順応する能力。
  2. 価値に従って効果的な行動をする能力。

の二つですが、これまで見てきたのは1の部分です。次回からは、いよいよもう一つの側面である「価値」について迫っていこうかと思います。

というわけで次回はACT05「VALUE:ゴールから価値へ」になります。お楽しみに!

というわけで、今回もお付き合い頂きありがとうございます。

それではまた!