美しい嘘と、醜い真実と、事実はただ淡々と

2021年12月24日

真偽は紙一重。嘘の皮をかぶってまことをつらぬけば、それでよいことよ

「嘘の皮」『剣客商売③ 陽炎の男』

と、今回は唐突に引用からスタートしましたが、これは小説、池波正太郎著『剣客商売けんかくしょうばい』の主人公、秋山小兵衛あきやまこへえの台詞です。

まこと、人の世はこのようなものではないかと、私は思います。

この小説のお話を簡単にご紹介させていただくと…

香具師やしの元締めの一人娘お照と、武家の息子の伊織、夫婦になりたいと望む二人ですが住む世界が違いすぎる。

そんな二人の若い男女の仲を、最終的に小兵衛の「嘘」が全て丸く収めてしまうのですが…小兵衛の息子である大治郎は謹厳実直な性格ゆえに「それでは嘘をついたのですか」と問いただすのですが、そこで小兵衛は「真偽とは紙一重…」と飄々と言ってのける…

というお話です。

小兵衛は剣術の達人でありながら、世故に長け、硬軟自在に嘘を操る人生の達人でもあります。

剣一筋で堅物の大治郎が、そんな小兵衛の背中を見て、世の中を自在に泳ぐ術を身につけいく…大治郎の成長を通し、読者である我々に人の世のあり方を見せてくれる。

『剣客商売』には池波先生の人生観、死生観が凝縮されていると言っても過言ではない気がします。

もちろん『剣客商売』だけではなく、人の悲哀や「人は良い事をしながら悪いこともする」という人間の矛盾を描いた「鬼平犯科帳」も大好きで…

おっと、このままでは延々と池波正太郎先生の作品レビューになってしまそうです。

本題がまだでしたね、と言っても既にお分かりでしょうが、今回は「嘘」について屁理屈をこねくり回していきます。

大抵の人は〈嘘〉とは良くない事とされて躾けられ、教育され、そんなもんだと思って日々過ごしてきているのでしょうが、果たして本当にそうなのか?

って所にフォーカスを当てていこうと思います。

しかしまぁ、冒頭の言葉が秀逸すぎて、ここに全て集約されているとは思うのですが…もう少し噛み砕いて色々と見ていきましょうか。

嘘とは

〈嘘〉とは「事実と異なる言動」と思われるでしょうが、事実は事実としてただそこにあるだけで、〈事実〉を認識する人の主観によって〈真実〉が生み出されます。

〈事実〉と〈真実〉は違いますし、「事実ではない=嘘」でもないのです。

人によっては、〈真実〉も様々に変化します。

とまぁ、簡単に言えば、真も嘘も人が色眼鏡を通して見た結果でしかありません…

で、改めて〈嘘〉とは一般論で言えば…

〈真実〉とは異なると知りながらも、口にする言動が〈嘘〉である。

でしょう。

当たり前ですね

世に溢れる嘘

人の世はどうしても〈嘘〉なしには語れません。

TVや映画などのフィクションも言うなれば嘘です。

偉人や英雄などの伝記も様々な脚色がなされていますが、これらも嘘と言えますし「お腹出してたら雷様におへそを取られちゃうぞ!」など子供の躾にも数々の嘘が用いられます。

この世は嘘が溢れています。

人間とは矛盾の象徴

エンターテイメントに嘘は必須ですし、「嘘も方便」とも言い、躾や教育上必要な嘘もあります。

「嘘をついてはいけません」と子供に教えながらも、社会生活を円滑にする為に嘘を駆使する…

人間とは矛盾なる存在です。

ここでまた池波先生の言葉を引用させていただくと

人間は、生まれた瞬間から、死に向かって歩み始める

「食について」『日曜日の万年筆』

こちらはエッセイにて綴られた言葉ですが。

人は死ぬために生まれながらも、生きるために食べようとする「人間とは矛盾の象徴だ」と池波先生は言います。

人間そのものが〈真実〉と〈嘘〉の両天秤では計れない矛盾で成り立った存在であるので

人間とは矛盾の象徴、〈真実〉も〈嘘〉も潜在的に内包するのが人間です。

人間社会にはどうしたって嘘が必要な場面があります。

悪いのは〈嘘〉ではなく人

〈嘘〉というものをこれまでの教育の先入観から「悪い事」という概念にくくり付けがちですが、馬鹿正直であればあるほど良いなんて、社会経験のある方なら誰も思わないのではないでしょうか。

提供された食事が口に合わなかったからといって「あぁ!マッズいですね!これはまたとんでもなく不味いですよ!この味をなんて表現しましょう…そう!ゴミ箱!」なんて言う人間とは一緒に食事したくないでしょうし…

生活習慣病に罹ったとして「食い過ぎだ!このデブ!豚野郎!」なんていうお医者さんもちょっと嫌ですよね。

気遣いという〈嘘〉もあります。

〈嘘〉であれ〈真実〉であれ、結局は使う側の人間の問題です。

〈嘘〉も〈真実〉も、そのどちらも害悪となるのは使う人次第です。

〈嘘〉が悪くて〈真実〉が正しいとは限りません。

「嘘をついてはいけません」は一応正解

先ほども触れましたが子供は「嘘をついてはいけません」と教えられます。

我々大人は日々数々の嘘をついておきながら…なぜ子供には嘘を禁じるのか…

しかし、これは正しいでしょう。

嘘とは使い方によっては他人を、また自らも滅ぼす諸刃の刃となります。(*これは真実であってもそうなのですが)

ハサミや包丁は色々と便利で生活に欠かせませんが、使い方がわからないと大怪我ではすみません。

子供にいきなり包丁を持たせてはいけないように、物事の分別や、世の中のことがある程度見えて来るまで「嘘をついてはいけません」と教えるのが正解です。

子供だけではありません、大人こそ〈嘘〉と〈真実〉の扱いをしっかりと心得るべきです。

物事の虚実を根本的に理解していないと、自分にとって都合の良い方ばかりに流れてしまいます。

世の中とは「都合の良いことばかりではない」と教えるために、まず子供にはしっかりと事実を見据えて〈真実〉を語る力を養ってあげるのがベターなのではないでしょうか。

〈嘘〉も〈真実〉も人の為であれ

さて、ここまで見てきて〈嘘〉も〈真実〉も、どちらが悪くて、どちらが正しいとは言えないと語ってきましたが、では一体正しさとは何か…

この世界の虚実とは一体なんなのか…

俺がお前でお前が俺で、アイツがソイツでソイツがアイツでお前…

混乱している事と思います。

では、免許皆伝・虎の巻を授けましょうか…

〈真実〉も〈嘘〉も己の為のみに使うなら、それは美しくない

と言えるでしょう。

独りよがりで自分勝手な言動は〈嘘〉であれ〈真実〉であれ、社会に害悪をもたらします。

真も嘘も、人の為なればこそ美しい

のです。

真も嘘も正しさで測れるものではありません。

正しいか正しくないかは、この世に答えがありません。

正しさが分からないとすれば、美しいか否かが唯一の基準です。(やや暴論であることは認めますが…でも、そうでしょう?)

自分にとって都合が良いだけの〈嘘〉も〈真実〉も醜いだけでしょう。

美しさは指針

現在のインターネット社会、スマホ社会では真偽の分からぬ情報が錯綜しております。

加えて、コロナ禍による疑心暗鬼が人心を覆っています。

陰謀やなんだと喚き、己に都合の良い事だけを好き勝手に発言する連中もおりますが、それぞれ自分の主張が〈真実〉であると疑いません。

彼らは自分の主張をするだけでなく、他人を口汚く罵っては悦に入っています。

さて、これらは美しいと言えるかどうか…

とても「美しい」とは言えませんよね。

独りよがりで、自分に都合が良いだけの言動は「醜い」です。

この様に、

「美しいか否」は「己の為か、人の為か」を見分ける指針ともなります。

といっても、中には本気で「人の為に」間違った情報を拡散しようとしている人もいるので、あくまで一つの指針です。

礼儀正しく丁寧でもご用心

言葉巧みに綺麗な単語を並べて語りかけてくる、何かへの勧誘や、営業トークなども気をつけなければいけませんが…

それらの真偽を見抜くポイントもあります。

いくら礼儀正しく丁寧でも「押し付けがましい」ものは跳ね除けましょう。

いくら自分が良いと思う物や思想でも、人に押し付けてくる人間は基本的に自分本位に行動しています。自分本位であることすら自覚できていません。

〈嘘〉も〈真実〉も許されないもの

ここまでは〈嘘〉も〈真実〉も人間の持つ矛盾が生み出す物であり、社会の営みの上でも欠かすことができない、という視点で語ってきました。

なれば、それらも人の為であれば、美しければ良い…としました。

しかし、この世の中には〈嘘〉も〈真実〉も許されないものがあります。

それは公平を期さなければならない、「公的機関」と「報道機関」です。

これらは、誰の主観も通さず、ただありのまま〈事実〉を伝える責任があります。

〈事実〉のみを伝えなければならない「公的機関」や「報道機関」は人の主観によって変化する〈真実〉も〈嘘〉も許されません。

偏向報道はもってのほかです。

昨今のメディアの腐り様ったら、目も当てられません。

まとめ

というわけでですね、今回は私の敬愛する作家、池波正太郎先生のお言葉を拝借して屁理屈を展開してきました。

簡単にまとめると

  • この世は嘘(フィクション)に溢れている
  • 人間とは矛盾の象徴、真実も嘘も潜在的に内包している
  • 真実も嘘も使う人間次第
  • 物事の虚実を根本的に理解していないと、都合の良い方に流される
  • 嘘も真も、人の為なればこそ美しい
  • 美しさは、人の為か己の為かの指針となる
  • 押しつけがましいのは、自分本位であり、跳ね除けるべき
  • 「公的機関」や「報道機関」には〈真実〉も〈嘘〉も許されない

といった感じでしょうか。

現代はまさに虚実が入り混じり、何が正解か分からず戸惑うことも多いと思いますが、その中でも「美しくありたい」ものです。

何はともあれ、やはり冒頭の秋山小兵衛の台詞が全てを物語っているのではないでしょうか。

もう一度、あの言葉を引用させていただき、今回の締めとさせていただきます。

真偽は紙一重。嘘の皮をかぶってまことをつらぬけば、それでよいことよ

「嘘の皮」『剣客商売③ 陽炎の男』