地球「NEVER MIND」

2022年1月2日

さて今回は地球環境問題などについて私なりの屁理屈をひとつ、語っていこうかなと思います。

現在、CO2削減やカーボンニュートラル、SDGsなど地球環境改善、エコロジーについて様々な言葉が飛び交い、各企業も環境問題に全面的に取り組んでいるかのように見えます。

それはそれで、良い事でしょう。

しかし、地球の為にと我々人間が、あれやこれやと、ちょこまかと動き回っていますが、当の地球さんはどう思っていらっしゃるか?

そこら辺も踏まえ、ちょっと考えてみましょう。

「愛は地球を救う」のか?!

「愛は地球を救う」なんてキャッチフレーズはおよそ日本人なら誰でも聞いたことがあるとは思いますが、果たして我々の愛は本当に地球を救えるのか?

私の持論で言えば「おこがましい」です。

我々はたかだか地球の上でごちゃごちゃと生息している一生物でしかありません。

想像してみてください、私たちの体にも無数の常在菌が生息していますが、彼らが宿主である人間に対して「私の愛で救ってあげます」なんて言ってきたら…

「やかましいわい!」

と思うでしょう。

地球の為は嘘

環境問題の謳い文句は必ずと言っていいほど「地球の為」という文言が入りますが、これは「大嘘」であると一応言っておきます。

別に「陰謀論」的なことではなく、我々が言う「地球の為」は地球の為になっているのか否か、分かりっこないからという事です。

もしかしたら地球は、硫酸の雨が降りしきる金星に憧れているのかも知れない…。

もしかしたら地球は、我々のような有機生命体の存在を望んでいないのかも知れない…だとすれば「地球の為に」なす事は生命の根絶になります。

と言うように「地球の為」などと、さも人間様が困っている地球さんを救ってあげなきゃいけない的な言い回しは、ちょいと勝手すぎやしないですか?と言う事です。

生命の住める星こそが至上で、貴重で、美しい!なんてのは人間サイドの主観でしかありません。

これも人間のエゴであると言えるでしょう。

エコ=エゴはいかがなものか…

ですから、こう言い換えるべきです。

「我々がのうのうと生きていける地球であってもらう為に!」

と。

自然であるとは

昨今、企業などの団体はもちろん、活動家などの個人レベルでも、自然環境の保護と再生こそ人類の果たすべく使命!人類の贖罪!とばかりに旗を振っていますが。

自然とはなんでしょうか…。

自然であるとはなんなんでしょう。

良い悪いはひとまず置いといて、私はこうも言えるんじゃないかと思います。

人の活動も自然のうちの一つであり、人によって破壊、汚染された環境も自然の成り行きである。

と。

あまりこういう事を言うと怒られそうですが、別にだからと言って環境破壊を推奨している訳じゃありませんし、目を背けるべき事でも無いと思うから言っているのです。

荒波が陸を侵食してリアス式海岸を作り上げるように、我々人間が様々なものを侵食してきただけに過ぎません。

それを後になってから「自然環境の保護と再生こそ人類の贖罪であり、使命!」なんて必死こいている方が不自然に見える事もあります。

我々が何をしようが、全て自然の範疇なのではないでしょうか。

ですから、こうも言えます。

「人類が自然環境を保護し、再生させるのも、人類に備わった生存能力であり、自然の摂理」

シマウマが減ってきたからといって、ライオンはシマウマを食べることを止めないでしょうし、ましてやシマウマを増やそうと草を植えることも出来ないでしょう。

これがライオンの持って生まれた自然の能力の限界です。

ですが我々人間は、自ら自然環境を変える能力を持っています。

だからやればいいのです。

自分達が生き延びるために。

「今までの生き方ではどうやらこの先、我々にとって都合が悪そうです、我々がこの先も生存していく為に自然環境に対する意識を改善していきましょう」

で、いいんじゃないでしょうか。

命は命の消費無くして成り立たない

これは今回の地球さん問題とはあまり関係ないかも知れませんが、一応書いておきます。

命は命の消費無くしては成り立たない

これは私がくどく言っている事ですが、これが自然です。

食事における主義も、あまり声の大きい人達は自然では無いと言えますね。

誰が何を口にしようが、何を拒もうが自由ですが…人が口にするものは全て命があります。

自分が口にする物(者)には命が宿っていないとし、他人だけが命を貪っているとして攻撃したり暴れたりする連中はなんとも、おこがましく、浅はかである事か…。

まとめ

環境問題に取り組む事は悪い事ではなく、我々が生き延びる為に必要な事です。

しかし「環境ビジネス」とは、都合よく「地球の為に」と謳いながらも、特定の人間だけが利益を貪る仕組みになっている場合もあります。

いわば「悪徳環境ビジネス」と言えますが、それらは「地球環境の改善」には全く貢献しておらず、むしろ環境汚染を悪化させています。

どこの国の何とはここでは言いませんが…

兎にも角にも「青く、美しく、生命豊かな地球」は我々人間のエゴであると言うことを大前提と認識し、「誰が何の為にやっているのか」をしっかり見極める必要があります。

何はともあれ、我々がチマチマとあれこれやっている様を見ながら地球さんは

NEVER MIND気にすんな

って言っているかも知れません。

*この地球さんは私が制作しているTシャツデザインの地球さんでした。

追記「電気自動車は本当にエコか??」

2021年に日本政府は『2035年までに新車販売で電動車100%を実現する』と政策を発表しましたが…

電動車は本当に環境に良いのか?

コレについては2019年にマツダが発表した、ガソリン車と電気自動車のCO2排出量を比較した論文があるので、そちらを参照すると…

まず、それぞれの生産時に掛かるCO2排出量は以下の通りになります。

自動車生産に関わる1台あたりのCO2排出量

ガソリン車=5493kg-CO2

電気自動車=12267kg-CO2

となり、自動車生産時のCO2 排出量は、電気自動車の方が倍以上になります。

コレは電気自動車の心臓とも言えるリチウムイオン電池の生産時に掛かるCO2排出量が膨大なもの(6337kg-CO2)となるからです。

生産時では電気自動車の方がCO2排出量が多くなってしまう、とは言え、やはり走行時はガソリン車の方が多くのCO2を排出します。

では電気自動車が生産時に上回ってしまったCO2排出量は実際にどれほど走行した時に逆転できるのか…

電気自動車がガソリン車よりトータルのCO2排出量が少なくなるのは、それぞれ11万1,511km走行してからだと言います。

そこから先は、電気自動車の方がCO2排出量を低く抑えられるのですが、約16万km走行したあたりで電気自動車の方はバッテリーの交換が必要になります。

先も述べた通りリチウムイオン電池の生産には膨大なCO2を排出してしまいます。

ここでCO2排出量の合計に再逆転が起こります。

そしてこれは走行距離20万kmになっても、合計では電気自動車の方がCO2排出量は多いままです。

つまり、今まで通りガソリン自動車を生産し使用した方が、CO2排出量は抑えられ、エコであると言う事です。

にも関わらず『2035年までに新車販売で電動車100%を実現する』と言う日本政府の政策の裏には何が潜んでいるのでしょうか…